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月刊バスケットボールの初代編集長として、日本のバスケ界を長年支えてきた「島本和彦」さん。
私自身、NBA解説でおなじみの柔らかな語り口に長年親しんできた一人です!
そんな島本和彦さんについて、

若い頃は?学生時代の画像と現在の姿を比較したい!
なんて疑問も浮かんできますよね!?
そんなアナタのために、島本和彦さんの若い頃、学生時代の画像と現在の姿を比較を調査、まとめました。
島本和彦(バスケ)の若い頃は?
YouTubeチャンネルで新企画がスタート👏
— 月刊バスケットボール (@gekkan_basket) September 17, 2020
月バスの元編集長でもある島本和彦さんと共にNBAの裏側を深く掘り下げる「島本バスケ研究所」略して「シマケン」です🏀
第1クォーターは名門ロサンゼルス・レイカーズについて😎
チェック&チャンネル登録、よろしくお願いします🤗https://t.co/tR2reamoyr pic.twitter.com/TGKrjuH3h2
島本和彦さんは1946年8月18日生まれ、東京都世田谷区出身です。
2026年現在、80歳を迎えられました。(執筆時)
まずは意外な学生時代から見ていきましょう!
玉川大学へ進学、学生時代はバレーボール部に所属
実は島本和彦さん、学生時代に打ち込んでいたのはバスケではなくバレーボールだったんです。
これには私も最初、かなり驚きました!
玉川学園出身の島本和彦さんは、高校時代にバレーボール部がなかったため、自分たちで部を作ったと本人が語っています。
その後、玉川大学へ進学し、大学でもバレーボールを続けました。
1969年に玉川大学を卒業すると、玉川大学出版部を経て主婦の友社に契約社員として入社。
その後、1972年に日本文化出版へ入社しました。

大学時代から出版に関わる経験を積んでいたことが、後の編集者人生にもつながっていったのでしょう!
1964年東京オリンピックでアメリカ代表に衝撃を受ける
島本和彦さんとバスケの出会いの原点は、1964年の東京オリンピックにあります!
当時、高校3年生だった島本和彦さんは、圧倒的な強さを見せたアメリカ代表に衝撃を受けました。
本人の連載「#バスケットボールジャーニー」(BOXOUT)には、当時の回想がつづられています。
バスケ部の友人から「五輪のUSAチームはすべて学生で、卒業すると全員プロに行くんだ」と教えられ、島本和彦さんは、
なんだ、もっと凄い選手がいるのか?
と驚いたというのです!
「いつか世界最高のチーム、選手を見てみたい」‥そんな思いが、その後のNBAへの関心や現地取材につながっていったと考えられます。
月刊バスケットボール創刊でNBAとの関わりが深まる
NBAの解説でお馴染みの
— 橋本 淳《𝕛》 (@k2_superj) December 18, 2017
島本和彦さん
にお会いできました
マイケルジョーダン黄金期のNBA解説はみんな島本さんでした
今もバスケを全国に発信してる
素敵な大人です
色々お話聞けて最高でした!!
またよろしくお願いします!!#島本和彦 #NBA解説者 #バスケットボール解説者 #バスケミュージアム pic.twitter.com/7PQgiqYaKU
1973年9月25日、『月刊バスケットボール』が創刊されます。
島本和彦さんは創刊編集者として抜擢され、当時まだ27歳。
1975年、島本和彦さんは、『月刊バスケットボール』編集長に就任しました。
『月刊バレーボール』の編集を経験していた島本和彦さんですが、バスケットボールの専門的な経験が豊富だったわけではありません。
本人も、バスケットボールを実際にプレーした経験がなかった状態から雑誌作りに取り組んだことを語っています。
月刊バスケットボール創刊のきっかけとは?
1972年のミュンヘンオリンピックをきっかけに『月刊バレーボール』が大きく売れ、その後、新しいスポーツ雑誌としてバスケットボール誌を立ち上げる流れが生まれました。
そして1973年に創刊されたのが『月刊バスケットボール』です。
島本和彦さんは創刊編集者として携わり、世界のバスケットボール情報を扱う企画などを通じて、少しずつバスケへの理解を深めていきました。
1978年に自費でNBAの現地取材を敢行
そして1978年、会社から取材費が出なかったにもかかわらず、島本和彦さんは自費でロサンジェルスとポートランドへのNBA取材を敢行します!
ロサンゼルスではカリーム・アブドゥル=ジャバー、ポートランドではドクターJことジュリアス・アービングら、当時のNBAを代表する選手を実際に目の当たりにしました。
取材申請を送っても返事がなく、プレス入口も分からなかったため、最初はダフ屋からチケットを購入して会場に入ったというエピソードも本人が語っています。
FAXもメールもない時代に、自らアメリカへ乗り込んでNBAの現場を取材したわけです!
こうした行動力から、島本和彦さんは日本人記者によるNBA現地取材の先駆者として知られるようになりました!

行動力がすごいですよね!!かっこいい☆
島本和彦(バスケ)の学生時代の画像と現在の姿を比較
【能代まちなかブログを更新したよ。見てね!】中川直之 × 島本和彦 トークセッションなど 3/18 秋田県 能代市 能代バスケミュージアム https://t.co/j29IfORAV4 #noshiro #akita pic.twitter.com/fM6Xnh1Fi8
— 能代ファン@秋田県北西部 (@noshirofan) March 15, 2017
さて、多くの方が気になる島本和彦さんの「画像の比較」について、正直なところをお伝えします。
学生時代の画像は限定的、創刊時期の写真などが中心
島本和彦さんの玉川大学時代やバレーボールをしていた学生時代について、今回確認できた主要な公開資料では、当時の写真をはっきり確認することはできませんでした。
一方、若い頃の姿を知る資料としては、『月刊バスケットボール』の創刊前後の時期を含めた写真などが確認できます!
また、日刊スポーツ(2021年)には、高校時代の渡邊雄太選手と島本さんが一緒に写った写真が掲載されています。
この写真は渡邊選手が高校生だった頃のものですが、当時の島本和彦さんの姿を知るうえでも興味深い一枚ですよね!
27歳と80歳、見た目の変化と経歴の変遷
【記事更新】日本におけるNBA普及のパイオニア・島本和彦氏による、バスケカルチャーとコレクションをテーマにした新連載がスタート!
— ミント【公式】 (@MintHeadquarter) May 16, 2025
プロローグは島本氏が初代編集長を務めた『月刊バスケットボール』新連載のエピソードから。… pic.twitter.com/l5HD6vMXpD
『月刊バスケットボール』創刊時の27歳と、2026年に80歳を迎えた現在の島本和彦さん。
半世紀以上の年月を経て見た目には大きな変化がありますが、バスケットボールへの情熱は長く変わっていないようです。
2021年、75歳の誕生日を迎えた際の取材(⇒コチラ)では、
会っておかないといけない人がいっぱいいる
と語り、複数媒体でのコラム連載やバスケットボールスクール「法政クラブ」のディレクターとして活動していることが紹介されました。
なるべく静かにしていようと思うんだけど、ついついね(笑)
という言葉からも、75歳になっても島本和彦さんはバスケへの好奇心を失っていないことが伝わってきます!
島本和彦さんの経歴の変遷をまとめると、以下のようになります。
- 1946年:東京都世田谷区に生まれる
- 1969年:玉川大学卒業
- 1972年:日本文化出版入社
- 1973年:月刊バスケットボール創刊編集者に
- 1975年:同誌編集長就任
- 1985年:NHKなどでTV解説を開始
- 1989年:NHK衛星放送の本放送でNBAコメンテイターに
- 現在:NBAファンクラブ「HOOP HYSTERIA」代表、解説・連載・講演など幅広く活動
ちなみに島本和彦さんは、「bjリーグ」の名付け親としても知られています。
また、「12月21日はバスケットボールの日!」の活動にも携わり、バスケットボールの普及に力を注いできました!

若き日の開拓精神が、80歳を迎えた現在にもつながっていると感じます!
島本和彦さんの奥さんも気になるところですよね!こちらもご覧ください!
まとめ
・島本和彦は1946年生まれで、玉川学園・玉川大学ではバレーボールに打ち込んでいた
・1964年東京オリンピックでアメリカ代表の強さに衝撃を受け、バスケットボールへの関心を深めた
・1973年に『月刊バスケットボール』の創刊編集者となり、1975年には編集長に就任
・1978年には自費で渡米し、カリーム・アブドゥル=ジャバーらを取材するなど、NBA現地取材の先駆者として活躍
・学生時代の画像は限定的ですが、現在もHOOP HYSTERIA代表や解説者などとして活動し、長年バスケ界を支えている
今回は、島本和彦さんについて以上のことがわかりました。
80歳を迎えた現在も、HOOP HYSTERIAの代表や解説、連載などで活動を続ける島本和彦さん。
半世紀以上にわたるバスケットボールとの歩みは、まさに日本のNBA・バスケ文化の歴史そのものと言えそうです!
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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